時は四世紀、トルコのミュラという小さな街。

既に日が落ちている中を、その職に就くにしては若い司教が、中身のあまり入っていない大き目の袋を持って街を歩いていた。

司教は家を順番に周り、その袋の中身を配って歩いているのだ。

ただし子供、それも親御が「今年一年いい子にしていた」と認める子供だけである。

そう、今日は12月6日、後の世で「聖ニコラウス・デイ」と呼ばれる事になる日である。

ひらひらと雪が舞う中を、白く長いコートを揺らし歩く司教は、暫くして家を回り終わった。

しかし、その大きな袋の中はまだ空ではない。良い子ではなかった子供が居たのだろうか。

彼は袋を小さく纏めると路地裏を歩く。

日が落ちるのが早い冬、家々にはぽつぽつとランプが灯り、出歩いている人間の姿はない。

そこに微かに足音が聞こえる。カツカツと石畳を叩くどうやらブーツか何かのような急いだ音。

司教は音のする方へ向かい、角を出る。

ちょうど音の主の目の前に出てしまい、軽くぶつかった。


「…っ」


真っ白なコートの司教の前に現れたのは真っ赤なスーツの男だった。

彼は司教を見、一目でそれと解る服装で気が付いたのか後ろに飛び退いた。


「も…申し訳御座いません」


それは普通に見れば司教に対する尊敬と取れたが、彼の表情は少し焦りが見て取れる。

司教はその意味に気付いていないのだろうか、やわらかく微笑む。


「構わないよ。…それより」


す、と白い手袋を嵌めた手を差し出して、一刻も早くこの場を去りたそうにしている彼に問い掛けた。


「…良い子にしていた?」

「…は?」


突然の言葉に赤い男はすこしばかり声のトーンが上がる。


「いや、司教様…私はもうとっくに成人ですが」

「…うん、まあ見れば解るけど。」


ならば何故聞いたのか!と言いたげな表情を浮かべる男。

ランプであまりハッキリとは見えないが、司教は僅かに笑っている。

そして畳まれた袋に入った最後の物を取り出し、彼に手渡した。


「プレゼントだよ、良い子じゃなくてもね…」


呆然とする男を置いて、司教は雪の中に消えていった。

赤い男の手に残されたものは、封筒に入っていて、厚み的にメッセージカードらしかった。

それを胸ポケットにしまい、彼もまた帰路に付いた。











「ただいま戻りました、先生」


彼の住んでいる場所なのだろう町外れの洋館。

薄暗く長い廊下の先にある、必要以上に大きく装飾の施された扉を開きながら彼は呼び掛ける。


「うむ、貴様にしては時間がかかったな。エッジワースよ」


それに応えたのは、きしきし揺れる安楽椅子に座る初老の男。

暖炉の火が揺れ、部屋全体をうすらぼんやりと明かりが包んでいる。


「…は。申し訳ありません、司教に声を掛けられたものですから」

「司教だと?」


途端に初老の男は顔をしかめる。

エッジワースと呼ばれた赤い男ははい、とだけ答えた。


「そして、これを渡されました」


先ほど受け取った封筒をポケットから出して見せると、彼は椅子の肘置きを拳で叩いた。


「貴様、司教に接触するとは何事か!あまつさえモノを受け取るとは!燃やしてしまえ」

「…は」


エッジワースは言われた通りにそれを暖炉の火の中に放り込む。

司教の纏う衣装のように白い封筒が、それを燃した彼の纏う赤色に包まれ消し炭になったのを確認して、男はエッジワースを見た。

ぎらりと光る眼光は鋭く、ほんの少したじろぐ彼に、椅子の脇にあった木製の杖を突きつける。


「奴らは悪魔祓い…我らの忌むべき存在である。今は我輩がこの様な状態の為に捨て置いているが、貴様が完全なる力を手にした暁には…解っているな、エッジワース」

「…は。」


エッジワースは、その銀色の瞳を揺れる灯りを避けるかのように臥せ、忠誠の証たる御辞儀をしてみせた。


「全ての罪に。エクソシストに。完璧を以て…断罪たる死を。」


深々と降る雪に静まり返った室内に、凛として凍り付くような低音が響いた。










エッジワースは断罪人として、依頼された人物を確実に消し去る。

どういう方法なのか死体はおろか、痕跡すら完全に存在しないものかのように隠滅した。

それはまるで人ならぬモノの力でも持っているかのように、密やかに、速やかに、完璧に。

彼はこの世界の全ての罪を許さない。

そして、存在自体が業だと教え込まれてきたエクソシストを酷く憎んでいる。

キリスト教に傾倒し心酔し、罪を赦すことで人間を救おうとする彼らは断罪人の敵であった。

…その敵が、ここ数日、深夜仕事を終えたエッジワースの後を付いてくるのだ。



「何なのです、司教様!付いてこないで頂けますか」

「良いじゃないか、何だかきみほっとけないんだよね」

「良くないッ!!」



先生からまだ手を出すなとさえ言われていなければ殺してやるのに、と思いながらダッシュで逃げる毎日だった。



「はぁ…はぁ…っ、何なのだ、本当に」


住んでいる場所がバレないようきちんとまいてから屋敷に転がり込んで、肩で息をして座り込む。



「何事だ、騒々しい」

「せ、先生…何で、もありませ…んっ」



エクソシストがやたらと追いかけてくるのです、などとは言えない。

そんなことに気付かれればどんな仕打ちが待ち受けているか想像するだけで、身の毛がよだつようであった。


「ふん…ならば良いが」


師匠がそう言い身を翻したのにホッと息を吐き、エッジワースは体を起こす。

そして長い廊下をゆっくりと歩き始めた。

天井まで届く大きく高い窓の外に見える三日月を睨み付け、エッジワースは呟いた。


「…早急に何とかせねばな…」


しかし、まだ修行中であり完全な力を手にしていない身では、あの司教を殺すことは出来ないと師匠に断言されている。

力では不可能…このような場合に取るべき行動は一つであると、彼は知っていた。









夜。

いつも通りに仕事をし、いつも通りうろついていた司教を、断罪人は自ら捕まえた。

今日は逃げないの、と腕を掴まれて少し不思議そうな顔をした彼。

そのまま引き寄せて、唇を奪った。


「…え」


触れただけのそれを離すと、司教が黒い瞳を見開いているのが解る。

エッジワースは喉の奥でクッと音を立ると、ボタンの止められていない白いコートに両腕を入れ、彼にきゅっと抱き付いた。

自分とほぼ同じ身長の肩口に顔を埋め、耳元に頬を擦り寄せる。

エッジワースから司教の表情は伺えないが、動かない所を見るとおそらく呆然としてしまっているのだろう。


「気付いて居るのでしょう、司教様…」


確実に伝わるように、けれど故意だとは悟られぬように、彼の耳元で溜め息を吐いて。


「私は…罪深い人間です…司教様…」


魅入られるような儚げな表情で、声色で、彼に縋って見せた。

司教は暫く困ったように視線をさまよわせていたが、エッジワースの頭を優しく撫でた。

子供にするように、銀の髪をさらさらと梳く。

何度も何度も繰り返すその行為は、邪心に満ちたエッジワースが思わず瞳を閉じそうになるくらいの優しさ。

彼の誘惑に対しての答えとしては純粋すぎる位だ。

それは博愛の精神からなのだろうか、いや、彼に対して特別な感情を抱いているのかもしれないと感じさせる何かが、その言動の裏に滲んでいる。


「話くらいなら…聞いてあげられるよ」


柔らかく抱き寄せられ、それは背中が無防備な状態であるというのに、エッジワースは何も出来なかった。















言われるが儘に、司教の家に着いて行った。

もともとそれが目的ではあったのだが、何故か主導権が司教にあるような状態。

エッジワースは自分がおかしいと自覚しながらもどうすることも出来ずにいる。

ホットミルクを渡され、かじかんだ手が溶かされる。じんじんと痛みにも感じるほどだ。



「司教様」

「ん?」

「何故貴方は、私を気にかけるのですか」



ごく自然な問いだった。

それを受けて、彼は瞳を細めて緩やかに笑う。



「まだ気付かない?…無理もないか、ずっと昔の事だもんね」

「え…?」

「ぼくだよ、…エッジワース」



司教はその帽子に手をかけ、するりと取り去る。

下に隠されていた、ツンツン尖った特徴的な髪型とギザギザの眉。

エッジワースは見覚えがあった。

だが昔のことなのか、直ぐには思い出せず考え込む仕草を見せた後に少し驚きながら唇を開いた。


「…ライト…か?」


その答えを聞いて司教はにっこりと微笑みながら大きく頷く。


「そう。覚えててくれたんだね!もう十年以上前のことなのに」


そう、二人は幼なじみであった。

今の立場にも関わらず、心なしかエッジワースの表情が和らいでいる。仲が良かったのだろう。


「しかしきみはまだ、私と同い年の筈。司教は35歳以上と決まっていたのでは…」

「ああ、今回は異例だったんだよ。前の司教が辞めた次の日の朝、一番最初に教会に入った人間を司教にするってさ」

「…いい加減過ぎる」

「そしてぼくは立場と名前と力を得たわけ」

「ああ、きみは今ニコラウス司教様だったな…力、というのは?」


少しずつ冷めてきたミルクを飲みながら、目の前に座っているライトを見る。

それはもちろんエクソシストとしての能力を指すのだろうと思ったが、出てきた言葉は意外なものだった。


「ああ、少しだけね…見えるんだ。人が強く思ってることが」


そう言いながら、自分の瞳を指さしてみせる。

昔と変わらない大きくて真っ黒な瞳は、エッジワースを映す。


「…ばかな」

「本当なんだよ、エッジワース。」


一度その瞳を臥せ、再び開くと銀の目をじぃっと見つめる。

その顔は真剣そのものだった。

机を挟んで向かい合わせに座っていた身を乗り出し、白い手袋で覆われた手で、エッジワースの指先を包んだ。


「きみは、心の中で何度も救いを求めてた。だから毎日きみに会いに行ったんだ」


救い。その言葉にエッジワースは表情を歪ませる。

彼にとって救いとは死のみである筈だからだ。


「馬鹿な、私が…?そんな訳はない」

「なら何で、ぼくはきみの居る場所を知っていたと思うの?きみがそれを強く願ったからだよ」


ぐ、と息が詰まる。

そんな訳がない、自分はカルマの教えに従い、死を以て全てを救う断罪人。

そうして罪を裁き続け、最後には自分自身を殺すのだから。

真に罪深き自分はその瞬間まで救われることはないのだ。

その私が救いを求めるなど。


「自分を責めないで…。あれはきみのせいなんかじゃないんだよ」


優しげなライトの声も、彼の耳に届いているのかどうか解らない。

しかし、次に届いた言葉にその瞳は見開かれた。


「きみのお父さんの事は」

「…!!」


驚愕の表情はみるみる怒りに姿を変えていく。

わなわなと身体を震わせ、氷のように鋭く尖った瞳に炎のような業火を宿して目の前の男を睨み付ける。

ガシャン!と派手な音を立ててマグカップを床に叩きつけると、そのまま立ち上がった。


「ふ、ざけるな…ッ!!」


それだけを吐き捨てるように告げ、彼は部屋を飛び出した。

残されたライトは驚いた様子もなく、割れたカップを眺めている。

その表情は僅かに笑みを浮かべている。


「絶対にきみを救う…その為に、ぼくはエクソシストになったんだから」