「ぅ、ん…?」

小さく呻き、御剣はうすく瞳を開いた。
視界に入るのは、見慣れない天井。ぼんやりとした頭で此処はどこなのかと考え、ああそういえば自分は倒れたのだったと思い至った。
それならば、ここは…

「御剣!目、覚めたのか?」

―やはり、成歩堂の事務所か。
予想通りの声が聞こえて、知らない場所ではなかったことに少し安堵した御剣。
視界を下げると、覗きこんできた成歩堂と目が合った。
途端に安心したように表情を和らげた彼は、ソファーに横たわらせた御剣と目線を合わせるためしゃがんで、自然な流れで銀の髪を撫でた。

「よく寝てたね」

ああ、そうなんだろうなと御剣は思った。何しろ夢を見なかったくらいだ。

「現場とウチ、近くて良かったよ。それ でも運ぶの大変だったんだからな?仕事し過ぎだよ…」
「いや…私は…、そうだ…私は仕事中ではないか…!」

成歩堂の手が気持ち良くてつい微睡んでしまいそうになる彼だったが、それを思い出すと弾かれたように身を起こそうとした。
しかし、肩を掴んでそれを制止する成歩堂。

「だめ。イトノコさんにも頼まれてるし」
「…彼が、何を?」
「最近お前の様子がおかしいから、少しで良いから休ませてやってくれって」
「…しかし、キミも私も現場の調査があるだろう…!」
「頼むから、休んで。…心配なんだよ。」

そう呟く声は懇願にも似て、見つめてくる瞳は真摯そのもので、御剣は自らの心臓が跳ねたのを痛いほど感じた。
そして何か言いたげに眉を下げて成歩堂を見つめるも、唇を噛んですぐに瞳をそらした。

「…人の気も知らずに…」
「え?」

低く小さく呟いた御剣の声をきちんと聞きとれずにポカンとする成歩堂。
その両腕を掴み無理矢理に自分から引き剥がさせて強引に身を起こし、御剣は叫んだ。

「私の気も知らないで…キミには関係ないだろう!放っておいてくれ!」

突然怒鳴られ驚きに固まってしまった成歩堂の腕から抜け、御剣はソファーから降りた。
上着とクラバットを脱がされていることに気付いて辺りを見回すと、少し離れたハンガーに掛かっているのを見つけて、そちらへ向かおうと成歩堂に背を向ける。
しかし、動けなかった。背後からのびた腕が、御剣の体をぎゅっと拘束した為だ。

「な…!」

背後を振り返ろうとするが叶わず困惑して固まってしまった御剣に、成歩堂は腕の力を強めた。
抱き締められている、そう理解して心音が跳ね上がる。
そこでようやく我に返り抵抗する御剣だったが、彼は決して離さず、肩口に顔を寄せ耳元で囁いた。

「関係ないなんて、言うなよ…」

その声は何故か寂しそうに掠れていて、表情が見えない御剣にも、成歩堂が眉を下げて悲しげな表情を浮かべているだろうことが伝わってきた。
無意識に抵抗は止まり、背後の成歩堂の動向を窺う。
彼が何を考えているのか、御剣にはさっぱり解らなかった。
しかし暫くしても成歩堂は行動も言葉もなく、沈黙に耐えられない御剣が仕方なく口を開いた。

「…キミは、お人好し過ぎる。敵である私を心配して、時間を割くなど…」

気弱そうに呟く御剣の心臓は普段より早く脈打って、けれどその目はどこか絶望しているような暗い色をしている。
後ろから抱き締めている成歩堂がそれに気付くことはなかった。そして御剣がそんな表情をする理由を、彼は知らない。
…御剣は、成歩堂に片思いをしているのだ。親友を気遣ってくれている彼の優しさが嬉しくて、とても痛かった。

「…敵、か。」

常よりもすこし低い声で呟き、成歩堂は御剣を抱き締めていた腕を離す。
半歩下がる成歩堂に、御剣は安堵した。

しかし同時に胸を締め付けるような痛みを覚えて、動けずに立ち尽くす。
そんな彼の正面に歩を進め対峙するように立った成歩堂は、その銀の瞳をじっと見つめた。
切れ長の瞳を見開き思わず後退した御剣だが、視線は外せなかった。
その真っ黒な瞳が、せつない色を滲ませていたから。
下がる御剣を追ってじりじりと距離を詰めると、ついに彼はブラインドのある窓にぶつかってしまう。

「…っ」

半歩のところまで近付いた成歩堂は手を伸ばし、ブラインドに触れる。反対の腕もそうして、御剣を挟み込んだ。
かしゃん、という小さな金属音に、シャツ姿の御剣が肩を震わせる。
成歩堂が眉を寄せ何か言いたげに唇を動かすのを、視線を外せないままだった御剣は呆然と眺めていた。
成歩堂は暫くそうしていたが、漸く口を開いた。