草木も眠る、という表現は現代には通用しないのではないか。
電気を消しても、斜光カーテンの隙間からチラつく街灯り。
こうも明るくては、草木も眠ることはできないだろうに。
彼らとて生き物なのだ。暗く静かになれば光合成の必要もなく眠りにつく。
ならば私が寝付けずに瞬きを繰り返すのは、それらと同じ理由からだろうか。
僅かに開けた窓からの夜風がカーテンを揺らす様を呆然と眺めているのは、明かりや騒音だけのせいなのだろうか。
疲れているのは間違い無く、現に横たえた体は睡眠を欲しているというのに…一向に睡魔はやって来ない。
この感覚は知っている。もう慣れ親しんだもの。
ああこれでは、未だ私は…あの悪夢に怯えているままなのではないか。

いや…悪夢からは解放された筈なのだ。
他でもない、あの男の手によって。
現にここ最近の眠りは穏やかなもので、こうも寝付けないことは無かった。
そういえば今日は、その『ここ最近』と違うことがひとつだけある。
それが眠れない理由なのかもしれない。





「最近、地震多くない?」

あれは1ヶ月ほど前だっただろうか。
私を喫茶店などに呼び出した青く尖った男が、やたら笑顔でそう尋ねて来るものだから、とりあえず殴った。

「痛!何だよ!」
「何だは此方のセリフだ。私の地震嫌いをからかいに来たのか?」
「いやいやいや!そんなつもりじゃないから」

ならばどんなつもりだと尋ねると、成歩堂は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに笑顔を満面の笑みに進化させて。

「御剣が夜安心していられるように、添い寝してあげるよ!」
「……は?」

私は彼の言葉が意味する所を理解することが出来ずに、間抜けにも口を開けた。

「だから、今夜から行くから!」

それだけ言って立ち上がり、注文したアイスコーヒーも飲まずに店を後にしてしまった。
残された私は、どうしていいのやら解らずに、とりあえずアイスコーヒーを飲み干してから席を立った。
…既に2人ぶんの会計は済ませてあったが、奴は何がしたかったのだろうか…今でも解らない。

そしてその日の夜、あろうことか、本当に訪ねて来た。
スコープいっぱいの笑顔に目眩がする。

…添い寝とか言っていたかと思い出して、もう鍵を開けなくて良いような気さえした。
それでも大声で呼ばれては近所迷惑なので、入れてやった。
すると奴はまるで自分の家がごとくシャワーを浴び、ビールを飲みながらソファでゴロゴロし、テレビを見るという始末。
完全に呆れ返った私は途中で小言を発するのを諦め、ベッドに入った。

「あ、寝るの?」

「うム…朝までには居なくなりたまえ……って何故入ってくるのだ!!?」

「え?添い寝するんだよ?」

私は怒鳴ってやろうかと思った。
しかし仕事でクタクタだった為に、もう眠れればどうでも良いかと考えそのまま瞳を閉じ、眠りに入った。
今思えばそれが悪かったのだ…



「おやすみ、御剣!」

…その日から毎晩そんな台詞を聞くことになろうとは。
その台詞に対して、

2日目は訴えるぞと小言を言った。
3日目は追い出そうとした。
4日目は蹴ってみた。
5日目はソファーで寝た。(奴は隣の床で寝ていた)
6日目は仕事で遅くなった。(奴はベッドで寝ていた)
7日目はだんだんどうでもよくなってきた。


「おやすみ、御剣」
「ム…明日は何時に出るのだ?」
「8時くらいかなぁ」
「私より遅いな、鍵をかけて出ろよ」

10日目には何故か鍵を渡してしまい。


「…な!成歩堂、くっつくな!」
「…この方が安心するだろ?」
「いや、しかし…」
「もう…、おやすみ御剣」

15日目からは何故か毎晩抱き締められて眠るようになり。


「今日もお疲れ様、御剣」
「うム…お疲れ様」
「おやすみ、また明日」

20日目には、それが自然であるかのように唇を重ねられた。
優しい抱擁と口付けを受けて、彼に微笑みを返したあと穏やかな眠りについた。


…そのやりとりが不自然だと気付いたのは、それを10日繰り返した後。
つまり今日、更に言えばつい先ほどだ。
成歩堂が仕事の関係で来られないと連絡を寄越し、一月ぶりに一人でベッドに入って。
何故か眠れず天井を眺めているうち、漸く冷静になったらしい。


そう。改めて考えれば、親友に口付けなどは普通しない。
抱き締めて眠ることすら間違っている。
常識的に合い鍵を渡すような間柄ではない。
男同士で添い寝のあたりから既に何かがおかしかった。
いや、そもそも彼が毎晩訪れることが…

あの男があまりに当たり前のように触れてくるから、気付かなかったのか。
…自分で言うのもなんだが、私は馬鹿ではない。
それが何だ、このザマは。
私のニューロンはどうした、脳細胞は死滅したのか?
…眠れない原因は一つの間違いだと言ったが、違ったようだ。

…全てが間違いだ。

間違いは正すべきだと、思う。
あの男が何を考えているのか知らないが…私たちはそのような関係ではない。
彼がそれを望んでいるのかどうかすら私には解らない。
なのに何故、私の手は携帯電話を握り締めているのだろう。
本当のところ、眠れない理由は明るさでも騒音でもないと最初から解っていた。
非常に単純で馬鹿げた、認めたくすらない答えだ。
当然のように傍に来て、当然のように抱き締めて、当然のように口付けて、当然のように心に入ってくる彼が、此処に居ないから。
…眠れない。

やはり、馬鹿なのかもしれないな。
今まで気づかないとは、どうしようもない…
今夜は一人だ。
一月前まではずっとそうだったではないか…何を戸惑う事があるのか…
ようやくゆっくりと眠れる、そう思うところだ。
携帯電話など握り締めてどうしようというのだろう。
行けないという連絡は既に受けたのだから、鳴る筈はない。
それでも心のどこかで、仕事を終わらせた彼が、連絡をくれるかもしれないと思っているなんて…どうかしている…。
独りきりでいる部屋の静寂が胸を締め付けて、呼吸が上手く出来ずに歯を噛み締める。
いつの間に、こんな風になったのだろう?
悪夢を奪われて、代わりに与えられたのがこんな感情だ。
こんな自分を知りたくなかった。
胸が軋む、頭が痛む、心が、求めている。

「成歩、堂…」

遥か下の喧騒にさえかき消されるほどの僅かな呟きは、自分でも驚くほど弱々しかった。
けれど、まるで凪いだ水面に放たれた小石のように、世界に波紋を投じる。

「――ッ!?」

それと共に視界が揺らいだ。
一瞬目眩かと思ったが違う、地震が起きていると気が付くまで、僅かな時間を要した。
震度3ほどだろうか、ベッドサイドのテーブルがガタガタと揺れる。
私は動くことも出来ずに、ベッドの上で硬直した。
勝手に体が震え、そこからはもう、転がる石のようなもの。
あの事件から何年も経って何とか取り戻しはじめたと思った平静は、軽く背中を押されただけで簡単に崩れ落ちる。
もう怯える必要は無いのに、何年もかけて育て上げた歪みが、私を離してはくれない。

「ぅ、ぁ…」

声も出ない。
シーツに爪を立てて、がたがたと震えていることしか出来ない。
無様な姿だと、頭のどこかで思ってもこれはもはや、反射のように体にインプリンティングされた行動。
それはまるでパブロフの犬のように、贖罪という餌をぶら下げられた私はただ震える事しか、出来ない。
揺れは長く一向に収まらず、意識が沈んでしまいそうになる。
瞼を閉じて霞む意識の中、右手の携帯電話をぎゅっと握り締めて。

どうして、どうしてこんな大事な時に、

「な、るほ…どう…」

どうして此処に、居ないんだ…

「…成歩堂…っ!」

鳴らない携帯電話を握り締めて、私はキミの名前を呼ぶ。
もう、揺れているのが地面なのか自分なのかも解らない。
ただただ怖くて仕方が無くて、縋るものを探すかのように宙を舞う腕は、その先にただひとりを求めている。
狂おしいほどに。

「…御剣」

優しく響く声が、深淵で私を呼ぶ。
弾かれるように瞳を開けた私は、間近にその真っ黒な瞳を見つけた。
幻覚なのか夢なのか、そのまま彼は私の唇を奪う。
毎夜繰り返した穏やかで優しいキス、よく知った腕に抱かれ、その体温を感じて。
震えはぴたりと治まっていた。

「成歩堂…?」

実物なのかと伸ばした私の手を握って、彼は優しく微笑む。

「…ごめん、遅くなったね」
「成、歩堂…?」
「泣かないで、御剣…」

その指先で頬を辿られ、自分がボロボロと涙を流していた事をはじめて自覚する。

「怖かったんだね…?」

慈しむように頭を撫でられては、止めようにも余計に零れてしまう涙。
私はもう、プライドも恥も置き去りに、その胸に顔をうずめた。

「来て…くれたのだな、」
「勿論だよ」

怖かった、キミの居ない夜が。
離れたくない。
ずっと一緒にいて欲しい。
…私は今の醜い様を見られないように顔を伏せたまま、声を絞り出した。
それは私ですら驚くような結論に達する。

「結婚してくれ、成歩堂」

言ってしまってから目を見開いた私をどう思ったのだかは知らないが、一瞬だけ間を開けた後、彼はクスッと笑った。

「喜んで」



END

楠木さま、大変お待たせ致しました!
相互記念でリクエストは「地震」でした。
御剣はインテル入ってる感じの天才検事の筈なのに、
うちの検事に入ってるのは乙女回路だったようです…スミマセン;
これからもよろしくお願い致しますm(_ _)m