成歩堂は自分の上で身悶える背中を優しく撫でた。
彼の浅く早い呼吸を耳元で聞きながら、思わず洩れそうになる溜め息を押し殺す。

彼のトラウマごと愛すと言ったのは自分だ。
未だ過去に縛られ続ける男を、その精神が不安定になる度に抱き締めて撫でてキスして宥めすかして時折当たられても止めずに続けるなどという真似は、事実愛していなければ到底出来ないだろう。

成歩堂龍一はその盲目と呼べる程度の執着でもって15年間追い続けた彼を手に入れ、その後も変わらない執着っぷりで、御剣の為なら何だってする男だ。
…それでもたまには疲れることだってある。


「御剣…ほら、もー大丈夫だから」


出た声は飾りきれていなかった。
御剣は成歩堂にのしかかって抱き付いたまま、顔を上げすらしない。


(これじゃ萎えちゃうよ)


未だ繋がったままの下半身を思う。

もういっそ問答無用で突き上げて、何もかも忘れるくらい気持ち良くしてやろうか。
そんな下衆なことを考えながら銀色の髪を梳いてやると、自分と同じシャンプーの香りがする。

何故かその匂いは自分のものより甘い気がして、いつも成歩堂の心を煽る。


「…成歩堂…」


小さな声でようやく我に返ると、御剣は小さな嗚咽を洩らしてしまっていた。
大人の男が地震ごときでよくもまぁ、子供みたいに泣くものだ。

子供のころから御剣はすぐに泣いてしまっていた。ただし今も昔も成歩堂の前でのみ。
それを可愛いと感じる反面、もう少しだけ精神が安定していても良いんじゃないかと思う。

まるで薄氷の湖面だ。凪いでいるように見えて、小石を投下しただけで粉々に砕けてしまう。
絶対零度にもなりきれない冷えた場所でギリギリ自己を保っている、それが御剣怜侍という男だ。
面倒だ、ぶち壊してしまいたい。そんな破壊衝動に駆られることだってある。

だが成歩堂にそんなことは不可能で、時折彼をイチから再構成してしまえたら良いのに、などと途方もない妄想に捕らわれる。
子供の頃の何のトラウマも持たない純粋で真っ白で無垢な彼を捕まえて、悲しい出来事を全て回避させ、優しく優しく育て上げるのだ。
全て成歩堂好みに。


「良いなぁ…光源氏みたいだ」


うっかり口に出してしまい、漸く顔を上げた御剣が口をぽかんと開いた。


「…はぁ?」
「あ、いや何でもない。何でも」
「…キミはよくこの状況で私の事以外考えていられるな」
「や、いやいや!お前の事だよ」
「ほう…光源氏がどうしたって?」


銀の瞳がギラリと光って成歩堂を捉える。
夜、寝室のベッドの上で、全裸で恋人の物を体内に飲み込んだまま、涙に濡れた瞳だというのに、どうしてこんなに恐ろしいのだろうか…成歩堂は口元に引きつった笑みを浮かべて、仕方なく全てを話すことにした。

気まずい沈黙の中、御剣が溜め息を吐く。
見下ろす視線は相変わらず高圧的に見えるが、瞳が揺れているのに気付いた成歩堂が思わず頬に手をのばすと、はたき落とされて逆に御剣の手に腕を強く掴まれた。
爪を立てて力の限りで握られ、両腕が軋む。


「痛、おい!」


突然走る痛みに声を荒げるも、御剣は握る力を緩めなかった。成歩堂には自分の身体がギシギシと鳴るのが聞こえた程だ。
乗り上げられているためにさしたる抵抗も出来ず、ただ顔を歪めることしか出来ない。
二人は暫しひたと睨み合った。


「…離せって、言ってるだろ!」


御剣がこんな態度を取っている訳も、痛みから逃れる術も解らず成歩堂の苛つきは限界に達し、勢いに任せて思い切り御剣に頭突きを食らわせた。


「――!?」


御剣は衝撃に体を浮かせた直後、痛みと眩暈に成歩堂の上に倒れ込んだ。
漸く解放された成歩堂は、自分にまで食らったダメージによりぐったりとして溜め息を吐く。
苦しげに悶える彼の背中を何気なしに撫でてやると、彼が視線を寄越す。


「…私では不満なのだな」


御剣が零した言葉で、漸く御剣を怒らせたのではなく傷付けたと理解した成歩堂。


「あ、御剣、その…」


だが成歩堂はかけるべき言葉を持たず、それでもとりあえず何かを言わなければと口を開いた。


「もう良い」


冷たい声に一蹴されて焦る。
焦れば焦るほど言葉は遠のいていく。
もっとも、そんな風に探してかけた言葉など相手の心に刺さらないことを、成歩堂も知ってはいたが。


「勝手にどこぞの可愛らしい子供でも攫ってくればいいだろう」


御剣は自嘲気味に口角を持ち上げてそう吐き捨て、瞳を歪める。


「キミが好きなのは小学生の頃の私だけだ」
「なんでそうなるんだよ!」
「その後の15年を過ごしてきた、それが今の私だ。その出来事が違ったなら私はもう私ではない」


ギリ、と御剣の切りそろえられた爪が下で見上げる男の肌に食い込む。
過去のトラウマを否定することで、今の御剣の人格すら否定してしまったことに今更気付いても遅かった。
凍りつくように鋭い銀の瞳が今度は酷く悲しそうに歪んだ。


「そうだろう?成歩堂」
「え…!?あ、御剣…!?」


突然腰を揺らし始めた御剣に、成歩堂は困惑して彼を見上げる。

怒りからなのか色が変わるほど唇を噛み締めながらも、緩やかに湧き上がる快感に眉を寄せて、御剣は下で固まっている男を睨み付けた。
荒くなる呼吸を無理矢理に抑えて一心不乱に腰を振る御剣の動きに、安物のベッドが不快な音を立てて軋み、二人の心を乱していく。


「キミが見ているのは、私ではない。キミが求めているのは、私ではない。キミが愛しているのは、私ではない。」


上がっている筈の呼吸も感じさせないほど淡々と、無表情で呟く。
確実に体は高まっているというのに、背筋が冷たい気がする。

もしもあの過去がなかったなら、今の御剣は存在し得ない。
傷付き、支配されながらも戦い続けた、強くて脆い御剣怜侍は。

見てくれだけが彼であっても意味がない、そんな単純なことも気付かなかった自分が嫌になる。

もし先ほど自分が望んだように、小学生の御剣を攫って自分好みに育て上げたとしたらどうなる?
可愛らしく明るい「御剣怜侍」とそれはそれで楽しい人生を過ごせるに違いない。

だがそうしたら今目の前にいる、偉そうでキザで堅物で訳の分からない性格で人を見下したような目をした、けれど泣き虫な御剣には二度と会えない。
彼が存在しない世界を一瞬でも想像してしまい、ゾッとする。

思わず跳ね起きてその身を強く抱くと、御剣は瞳を見開き驚いて動きを止めた。
構わずに唇を重ね合わせ、口腔に舌をねじ込む。
キミは都合が悪くなると口を塞ぐな、などと言われたことがあったのを思い出したが、これは完全にただの衝動だ。

好きだと何度も囁くよりも官能的に、それ以上の言葉にならない気持ちがはっきりと伝わるように。
口付けを送りながら突き上げてやると、声を出せないまま喘ぐ。抱きついてくる力が強まったのを感じて、成歩堂もそうした。

勢いをつけてピストンを繰り返していると、それに合わせて上の彼も腰を揺らす。自らのいい場所を狙って落とされる腰に成歩堂は口端に笑みを浮かべて唇を離し、白い首筋に顔を埋めた。


「あッ、あ…ふぅっ」


解放された唇から掠れた声が洩れるのを聞きながら、首筋に唇を滑らせる。
それに余計感じて、尖った黒髪に指を絡ませぎゅっと掴む御剣の白い指。多少の痛みはあったが構わずに快感を与え続けてやる。


「あ…成歩堂…」


声色から、喘いでいるのではなく呼びかけだと気付いて目を見ると、長い睫に縁取られた硝子の瞳が閃いた。


「っ…過去は、必要ない」
「は?さっきと言ってることが」
「聞けっ」
「はい」


成歩堂は大人しく聞く姿勢を見せたが、御剣の内部を突き上げる動きは止めないままだ。
御剣も腰を揺らしながら、熱い吐息を隠さず言葉を紡ぐ。


「私には捨てられない過去があって…キミもそうだ。変えることは不可能だし、仮に出来たとして私はそれを許さない。だが、過去も未来も、忘れて…この瞬間だけは、成歩堂龍一と御剣怜侍で愛し合えれば、今だけはそれで」


十分だ。そう耳元で囁かれて成歩堂は一瞬で赤面し、それから何度も頷いた。


「うん、そうだね…。御剣…」


なぜか泣きそうになりながら自分を責め立てる成歩堂に、無理矢理に作った強気な笑みを返して、御剣は更に煽るように彼を締め付けた。


「解ったなら私の全てを受け入れろ…!」


息も絶え絶えながら何時も通りの傲慢さを滲ませた言葉で成歩堂を射抜きながら、彼は瞳を濡らしていた。
それがどんな感情からなのかは本人にすら理解は出来ていない。
だというのに、御剣本人よりも御剣を知り尽くした男はその要求を見事に汲んでみせた。


「解ってる、愛してる、全部」
「…それでいい、ひっ、あ、っ…!」


更に突き上げが激しくなって、御剣に意味のある言葉を発することはもう出来ない。
ただただ気持ち良さそうな喘ぎ声をあげて目の前の愛しい男にしがみつくだけだった。








ナルミツ10周年企画に寄稿させて頂いた小説です。
2人はいつまでもいつまでもバカップルでいてください!(>_<*)