深夜にいきなり呼び出されて、君の家に向かった。

合い鍵でドアを空け、室内に君の姿を探したが、いない。

首を傾げていると、僅かに聞こえる水音。

ああ、人を呼びだしておいてシャワーか…なんて思いながら、バスルームの扉を開けた。


「…っ!?」


そこに広がっていた光景に、ぼくは驚いた。驚いてしまった。確かに。









ことの起こりは一週間前。

ふとした会話から始まった。

御剣が何か、いつもより少し暗いような気がしたから、大丈夫?って聞いてみた。


「…何がだ。」

「暗くない?何か嫌な事でもあったの?」


御剣は、図星を突かれたのかほんの少し驚いたような、それでも無表情を装おうとしたから。


「御剣って、あんまり表情出してくれないよね」


ぼくの事務所のソファに座っていた彼は、ぼくを見て僅かに目を細めた。


「…法廷で隙は見せられないからな」


…その割に白目向いてみたり、するよな。

逆に、私生活の方が無表情な気さえする。

わざとってことはないよな…


「まぁ、ぼくには全部解るけどね」

「…何?」

「感情出さなくても君の思ってること、ちゃんと解るよ」

「……そうか」


暗かった表情が少しだけ、それこそ他人なら解らないくらい密やかな微笑みを浮かべた御剣。

自惚れかもしれないけど、唯一心を許せる、理解してくれる人間だとぼくのことを思っていてくれるのだと思う。

きみの愛しげな微笑みはぼくだけの物だし。

しかし、御剣はすぐに無表情に戻った。

何かを考えているらしかった。


「…寧ろ、私はたまにキミが解らない時があるぞ」


顎に手を当てて斜め上を見ながらそう呟いた声は、ちょっと訝しげ。


「え?ぼくが?」

「ああ…」


理由を聞きたかったが、彼が黙ってしまったので止めた。

確かに、二面性は有るって言われるし。御剣が姿を消してる間、彼の名前を出した時のぼくはそりゃ怖くて、訳が解らなかったって真宵ちゃんも言ってたな。

意外とポーカーフェイスだしまぁ、そういうことだろう。

勝手に自己完結していると、御剣の目が此方を見た。


「…キミは私生活では意外と反応が薄い。あまり驚いたりしない気がする」

「えー、御剣の方が無表情でしょ。たまに照れたりすると堪まんないけどさ」

「……ム、そんなことはない。」

「あるよ!絶対キミのが薄いね」


そう言い切ると、何かを考え込むように瞼を臥せた御剣。
そしてその目を開くと、何故かニヤリと笑った。


「…ならば、勝負をしようではないか?」


そんな流れで、ゲームが始まった訳だ。

相手を驚かすことが出来たら、何でも言うことを聞く。

そんな単純なルール。

ただ、御剣の笑みが気になったけど、まぁ夜道とかに気を付けていれば大丈夫だろう。

何を仕掛けてくるかとドキドキしながら過ごしていたが、キミは何故か1週間なんのアクションも起こさなかった。

あまりの手応えのなさに、忙しくて約束を忘れちゃったのかと思った頃。

きみから呼び出しがあった。

…ついに来たな、なんて思いながらきみのマンションに向かう。

無いとは思うが、足元に罠がないか警戒しながら。

合い鍵を使って部屋に入る。

まさかいきなり飛び出してきて…なんてチープな訳ないよな。

ちょっとビクビクしながらきみを探していると、シャワーの音に気が付いた。

…罠かな、ただのシャワー中かな。人を呼んでおいて。

なんて思いながら浴室のドアを開けて。


「…ッ!!!?」


ぼくは、声を失った。

同時に、一週間前の彼を思い出していた。

彼は、少しだけ落ち込んでいるようだったけど、ぼくの言葉で直ぐ笑顔になってくれた。

けれど、それは断続的に君を苛み続けていた?ぼくはきみを救えなかった…?



…バスルームの御剣は、スラックスにYシャツを着たまま、タイルに座り込んでいる。

お湯を張ったバスタブに片腕を突っ込んで…そのバスタブは、真っ赤だった。

噎せるような鉄の臭い。

御剣の右手には一枚刃の剃刀、左の手首を深く傷付けていた。

一瞬放心してしまったが、ぼくは弾かれるように御剣の傍に寄った。

抱き締める。氷のように冷たかった。

混乱した頭で、それでも止血をしなければと思い至り、左手をバスタブから引き上げると湯に薄められたピンクがかった色ではなく、目に痛い鮮やかな赤色が流れ落ちる。

動脈を探し当てる時間も惜しくて、自分のネクタイで強く手首を縛り上げた。

早く救急車を呼ばなくては、と携帯電話を取り出した手に、冷たいものが触れてぼくは其方を見た。


「……、御剣ッ!!」


彼が、虚ろな瞳でぼくを見ている。
その瞬間、緊張の糸が切れたのが解った。今は危ない状態で、しかも彼が自殺を図ったのは紛れもない事実だけど。


「良かった……っ」


生きていてくれた、それだけで。お前が死のうとした理由なんて解らないけど。


「御剣、救急車呼ぶから…!」


いつも白い頬が、蒼くすら見える。
血液を失って体温は下がり、かたかたと震える唇が何かを紡いだ気がした。


「え?」


喋らせない方が良いのに思わず聞き返してしまった。
御剣の唇は囁きの如く吐息を伴った声を紡ぐ。


……驚いたか?


ぼくにはそう、聞こえた。
しかも殆ど意識の無いような状態で、目だけは笑ってぼくを捉えている。



「御剣、何、言って…?」

「……やくそく…、した…だろう」

「約束……?」

「いうことを、ひとつ。…なんでも」

「………は…?」



…確かに約束はした。驚かせればなんでも言うことを聞く、と。

まさか。まさか。まさか、そんな事の為に?

ぼくまで顔が青ざめるのを感じた。

御剣はふざけている訳じゃない。冗談でこんなことになるなら大馬鹿だ。

声も、目も、願いを告げたそうにぼくに向けられている。



「何?…下らない事だったらただじゃおかない」



左手首を結ぶネクタイを更に強く締め、お前を睨み付ける。

御剣は色のない瞳で、ぼくを見詰めた。

白い右手がぼくの頬に触れて、軽く引き寄せる。

白い唇に触れそうな距離で、それはそれは愛しげな瞳で。



「…死んで、ほしい」



…彼は世界に、絶望していた。

ただひとり、ぼくという存在を除いて。